そんな僕は、海のある方向をもってしてざっくり南だと思ってしまう。
海とは太平洋のことで、太平洋こそが南を表す象徴だと思っている。
同様に、日本アルプスがある方向はざっくり北だと思ってしまう。
富士山がある方向はざっくり東で、反対側がざっくり西になる。
東西南北は海を基準として捉えている。
だから、川は南に流れるものだ。
しかし、日本は広い。世界も広い。
瀬戸内海を見て南だと思う人もいれば北だと思う人もいるだろう。
海とは日本海のことで、川は北へ流れるものだという肌感覚の人もいるだろう。
そういう現実を、感覚を、僕は受け入れられない。
肌感覚が違う人間とは見える景色が違うはずだから。
その点において、太陽を基準にすることの絶対王政っぷりに思い至る。
太陽はざっくり東から昇り、ざっくり西に沈んでいく。
太陽信仰の強さはここにあるのでは?という発見者めいた興奮を覚える。
海を見て北だ!南だ!と言い出す隣人たちの集団社会は崩壊しかねない。
だからこそ僕は海を基準として生きていきたい。
曖昧な肌感覚を大切にしていきたい。
太陽によって、つまりは地球の自転によって厳格に決まる東西。
重力によって、つまりは物理の神秘によって厳格に決まる上下。
それらに比べて、南北の曖昧さは愛すべき自由度じゃないか。
これは左右を愛することと似ている。
眼球によって決まる前後。
重力によって決まる上下。
それに比べて左右の自由度といったら!
だから僕は海を見て北だと思う土地には行かないし、海を見て北だと思う人間のいる土地には行かない。
僕にとっての母なる海が、太平洋が、その象徴を失わないために。
グローバル化大好き人間に、海は東西南北のどこにあるか聞いてみたい。