承前
僕は宗教にあまり興味がない。
万物には神が宿っており、八百万の神々がいると思っている。
だから、万物の一員たる自分にだって神が宿っていると思うし、「神が宿っていること」と「神であること」はほとんど同じな気がしてくるし、だから自分こそは神だと思ってるし、万物の構成員たる君こそが神だと思っている。
日本神話に登場する神にも仏にも神の子にも世界中のどの神にも、火にも風にも山にも海にも、君という人間にも、この感情にも、君と僕の精神世界も、信仰の対象となるあらゆるものと、信仰の対象にならないあらゆるものと、自分は対等だと、そう認識している。
つまりは等しく神であり、等しく神であるならば等しくゴミで、僕もお前も神も仏も死んだ方が良くて、最高に愛してるけど最高に興味がない。
僕は君にも神にも自分にも、さして興味がない。
だから、宗教を愛する人々のモチベーションに興味がある。
君という人間は、どういう人生を歩んで、どういう出会いと別れを経験し、宗教に何を見出しているのか。
僕は典型的な日本人であって、積極的に宗教儀式を意識しているわけではないけども、何となく神社仏閣は好きだし、自然と六曜は気にしてるような気もするし、興味がないだけで文化として自分の中に根付いているのを感じる瞬間はたくさんある。
だから気になる。
明示的に積極的に、根付いているものとは別の?別なのかどうかは知らんけども、宗教と関わる人間と、宗教とは一体何なのかが。
そんな風に思っていた24歳の夏、もう何年も前の夏、僕は新興宗教に誘われたのだった。
新興宗教という言葉の定義は分からないけど、メジャーじゃない、なんか怪しい、みたいな雰囲気がある宗教のことを指している、みたいなアホみたいな解釈を持っていて、個人的な主観によって新興宗教と表現するんだけど、とにかく新興宗教に誘われたのだ。
なぜ誘われたのか?っていうのは、誘ってきた人がメンヘラだったから、みたいな世間に溢れてるしょうもない話なので良いとして、とにかく誘われた。
そして僕は、大人の社会科見学のノリで、工場見学のノリで、もっと学術的に高尚に言えばエスノグラフィーをしようと思い、ラブホの門戸を叩いた時と同じノリで、つまりはロックンロールを自分の中に感じて、誘いを受けた。
あらかじめ断っておくが、僕は基本的に新興宗教の奴らを小馬鹿にしている。
全然アホだと思うし、意味が分からん。
誘いを受け、それなりに宗教活動に参加してみた結果、全く理解不能だったし、何も共感できず、現在の僕は、かの新興宗教と全く関わりがない、ということを言っておく。
なお、関わりがあったのは1年間だけであったことを述べておく。
世界真光文明教団について
僕が誘われたのは世界真光文明教団という組織?団体?宗教法人?であった。
詳しくはwikipediaを参照すれば、だいたい分かる。
この宗教に誘われて初めて行ったのは「道場」である。
普通の住宅街の中にある普通の建物。
そこが彼らの拠り所であった。
初回は入門のために初級研修を受ける。
有料で、1万5千円くらいしたような記憶。
冷やかしするのに2万円弱なら安いもんです。
やたら神やら何やらという話を聞く。うるせえ。
エジプトの壁画とか、歴史上の偉人の写真を見せられて「みんな手かざししてるんですね!!」とか言われる。
はぁ。そっすか。良かったね。おめ!!
過去に僕以外の誰かが手をかざして奇跡を起こしてたとして、それが現在の僕になんの関係があって、その関係になんの意味があるのか全く理解できなかった。
よく分からん雑多な資料を集めて解釈の問題に無理矢理持ち込んで共感しろよって言われても困った。
救いようのないバカで、全員中卒なのかな?って思った。
マジで小馬鹿にしながら聞いてたけど、道場の皆さんは懐が深くて、私に全然興味なさそうだった。
最初から最後まで、1年の間、彼らは信仰心を僕に押し付けてくることは一切無かった。
ただ自分が信じているだけで、他人が小馬鹿にしてようが信じてなかろうが関係なさそうだった。
後々で分かったことだが、たまたま、そういう特殊な人達が集まっている「問題のある」道場だったらしい。
そのため、このレポートを読んでも全く参考にならないと思われる。
初級研修を終えるとネックレスを貰える。
これで立派な組み手となる。
嵐ファンをアラシックと言うように、主の神ファンを組み手という。
このネックレスは万能のお守りで、これさえ身につけとけば完璧らしい。
お守りというか、神様から直接パワー貰ってる媒体なので、お守りより凄い。
信仰対象は1番凄い神様だから、他のお守りは要らないとのこと。コスパ良し。
組み手と伊勢神宮に行ったことあるんだけど、ネックレスあるからお守りいらないとかいってて強すぎワロタって思った。
伊勢神宮より強いパワーを常に貰える、そう、真光ならね。
初級研修の他に中級とか上級もある。
テキストがあったりグッズがあったり、絶妙に都度お金かかってウケる。
初級は誰でも気軽に受けれる。
一応道場ごとにノルマっぽいものあるらしく、初級研修受けただけで一生関わらない人もいっぱいいるっぽかった。
なんかザビエルの写真見せられて「手をかざしてるんですよ!」とか言われるの、斬新な視点だったし意味不明で面白かったのでオススメ。
で、初級研修を受けたら立派な組み手。
なので、月イチの月始祭に行きましょうね。
伊豆にある本部に月始めに信者が集う。
めちゃくちゃ凄い人数が来る。
想像の100倍くらい来る。
最寄り駅からバスも出てるらしいけど、ほとんどの人は車や大型バスで乗り合わせてやってくる。
許可証がないと駐車場に入れないので、興味本位で信者じゃない人が行っても中には入れない。
月始祭とかじゃなければ普通に見学可能らしいので、見学に行くときは要注意。
高齢者とか妊婦とかは本殿から近めの駐車場に停めれる。
そういう人たちを呼称する呼び名があったけど、忘れた。
何だったっけ…。
敷地内はバリアフリーな感じで、高齢者から金を搾り取らなきゃって必死さを随所に感じる。
敷地内には墓とかあって、めちゃくちゃ高く売られてるんだけど、さすがは聖地。
当時は墓できたばっかだったのに、めっちゃ埋まってた。
敷地内めっちゃ広くて、確か大浴場みたいなのもあった気がする。
夜中に着いて朝まで待つとき、伊豆の山の中なので、広大な敷地を散歩するの結構楽しかった。
で、大広間みたいなとこでお清め合戦。
あっちこっちで祝詞手かざし、マジで異常な光景。
組み手にならないと見られない景色と雰囲気が、そこにはあった。
新興宗教の中心地に自分がいる、という確かな感触がそこにはあった。
三代教え主・聖翔のありがたいお話があって、毎回けっこう面白かった。
三代は二代のドラ息子で、「昔は宗教なんて信じてなかった」みたいな感じ。
トップもそうだし、私の通ってた道場もそうなんだけど、宗教への無理解に対して懐が深い感じがあった。
自分が良いと思ってるから人に勧めることもあるけど、信じるのも信じないのも自由、みたいなスタンスだったように思う。
自分たちが好きでやってる感があって、だからこそ僕はずっと小馬鹿にし続けられたから感謝している。
しかし、トップの話は、距離感を持たせた演出であることが判明する。
ナントカ道場のナントカさんが、報告?みたいなのをやるんだけど、これがヤバイ。
こういうことがあって、こういうふうにして、こうなりました!みたいな。
その話が漏れなくヤバイ。
あぁ、ここは新興宗教の総本山だったな…と再認識した。
僕が関係してた道場の皆さんは、マジで真光の中で異色な、扱いづらい人たちだったんだなと分かった。
三代の宗教信じてませんでした話も、ヤバさ倍増に思えた。
祝詞以外にも歌とかあって、けっこう覚えることが多いのでめんどくさい。
ちなみに、私はやる気なさすぎてネックレス忘れて行ったことあるんだけど、ネックレスしてないのバレないか冷や冷やした。
結局バレたけど、目で叱られたに留まった。ごめん。
年に1回、大祭もある。
このときは凄い。
お金が目の前で飛んでいく。
1日だけで何千万円稼いでるのかなってレベル。
もちろん私はお金を出したことないんだけど、付き添って行った時に受付のめちゃくちゃ可愛いお姉さんが、本当にめちゃくちゃ可愛いかったんだけど、「初めてなんですか?じゃあ楽しみですね」的なこと言ってきて、そのとき初めて「ああ、ここは信仰者の集まりなんだな。ごめん場違いで」と実感したのだった。
そのお姉さんがめちゃくちゃ可愛かったからかも知れないけれど、本当に純粋な瞳をして何の疑いもなく自信に満ちて言ってきたので、僕は本当に目が覚めた。
そのとき、僕は満足したんだ。
冷やかしにきた甲斐があったなと。
そのお姉さんは、純粋な真光の人で、親が信者で生まれた時から真光だった。
真光が生活、文化の基盤になっていたのだ。
これは取り返しがつかない。
取り返すもなにも、生まれた時からなのだから、これが在るべき姿で、めちゃくちゃ可愛いお姉さんと僕が分かり合えることは一生無いのだという一方的な失恋が、たった数十秒の出会いと別れが、僕を大人に?したのだった。失笑。
真光は凄くて、その当時でさえ海外展開してたし、墓は売ってるし、学校まで作ってた。
私を誘った組み手はケータイ依存症だった上に特殊な信仰心だったので「ケータイ持ち込めないような学校には絶対に行かない」と言っていた。
伊豆の山の中にケータイ無しで隔離され、たまに町に降りてもクソ田舎。
青春時代を捨てなければならない。
が、青春時代を捨てると幹部候補となり、なんか別の呼称があった気がしたけど忘れた。
そんな幹部候補の学生の出し物とか、色々なイベントがあったりして大祭は賑やかだった。
あ、大祭のときに色んな人からおめでとうの祝電来てたんだけど、内閣総理大臣の安倍さんからもきてて、安倍さんの名前が読まれた瞬間には場内が「おおっ!!」ってどよめいてた。
なんか三代と仲良しらしいけど、政治家って票集め大変なんだなーって思った。
その後
1年ほど冷やかしをして、僕には全く意味が分からなかった。
月始祭で出会った青年、「ネットにはネガティブなことしか書かれていないからね…」って言ってたけど、実際にクソだからしょうがないじゃんとしか最後まで思えなかった。
それならポジティブなことをネットで発信する努力をしろよ馬鹿かよ中卒か?って感じだったけど、そういうことも含めて凄い良い人たちだった。
全体的に、自分たちだけで好きなことしてるだけって印象で、たまに無理矢理勧誘してるヤバイ奴も勿論いるみたいだったけど、そんなに嫌悪感は無かった。
教えとかはクソアホで、祝詞も歌も出し物もキチガイとしか思えなかったけど、それでも凄い面白かった。
面白かったと思わせてくれた道場の皆さんに感謝。
ネックレスやら何やらのグッズ、引越しのときにまとめて燃えるゴミに出して以降は関わり合っていない。
ネックレス、手かざしして浄化したティッシュとかの上にしか置けないとか制約多すぎワロタ。
食べ物は手かざしして浄化するみたいなのもあったけど、外食は気にしないし必ず毎回してるわけでもないみたいな緩さがあった(人によるんだろうけど)からこそ楽しく参加できた。
もう5年以上も前のことだけど、普通の人ができない経験をしたってことで、
何を言いたいのかまとまりもないけども、とにかくここにアウトプットしておく。
以上。