ふと、ラブホでバイトしていたときのことを思い出す。
いろんなことがあったと思う。本当にいろんなことが。
「先生、息子はまだ帰ってきてません」
そう聞こえてきたのは、いつのことだっただろうか。
ラブホの従業員用通路でバスタオルを干していたときだ。
客室の裏手を通る通路の、客室からは非常口となる扉の、そこで。
家にいる風に学校の教師と電話している彼女の、その生々しさ。
母親が平日17時30分にラブホにいる家庭なのだから、息子は大変だろう。
きっと不倫相手に聞かれないように、非常口に近い、部屋の中で最も薄暗い場所で。
息子のことなのか不倫相手のことなのか誰のことを考えていたのかは分からないが。
とにかく彼女は1人で電話をしているつもりだった、誰にも聞かれないと思っていた。
それを僕は、扉1枚を挟んだすぐそこで、聞いてしまった。
そんな小説みたいな台詞を言う女がいるのか、という衝撃。
あの衝撃を、僕の身体は、あの時に感じた衝撃を、僕の心は、まだ覚えているだろうか。
薄暗い従業員用通路でバスタオルを干していた、あの時の僕と地続きで繋がっているか。
なんだか最近、あの時の僕との距離を上手く測れなくなってしまったような気がするのだ。
不倫と風俗と異常性癖とが日常だった、要するに人生経験という概念が目の前に常に顕現していた、あの時の、あの最高にロックな環境と、最高にロックな同僚と、最高に神がかっていた、あの時の何かが、今も僕を突き動かすような、突き動かされるような感覚が、その感覚でさえ幻想となりかけていると認めざるを得ない、そんな日々で、僕は突き動かされていない、のではないだろうか。
太古のリズムが鳴動し汗と体液の混じった臭いが充満し何らかの儀式めいた様相を呈し、獣の唸り声が聞こえ脈打つ空気に新たな生命の気配があり、そして我々が扉を開いた瞬間にゴム臭さが現実へと引き戻し生命の気配なんて毛頭なく、そこには確かに愛の形跡だけが残ってはいるが、一瞬前まで確かにそこには神々がいたと、我々が清掃に入るその瞬間までは確かにここには神々がいたと、そう思わせる、あの生々しさの極致の、あの生と死が混然となった、あの日々の、あの歌が、今も僕には聞こえているのだろうか。
僕には自信がない。
あの日々の、あの衝動が。
あの日々の、あの歌が。
過去には間違いなく突き動かされていたものが。
今もまだここにあるという、確信がない。
これを大人になったというのなら、
僕は大人になんてなりたくなかった。
これを大人になったというのなら、
僕にはもっとやるべきことがあるんだろう。